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東京地方裁判所 平成3年(ワ)18160号 判決

原告

加藤頌二

加藤敬子

右両名訴訟代理人弁護士

古瀬駿介

加城千波

被告

学校法人和光学園

右代表者理事

春田正治

右訴訟代理人弁護士

斎藤一好

斎藤誠

被告

有限会社東京エッキス線技術研究所

右代表者代表取締役

成田量子

右訴訟代理人弁護士

三羽正人

右訴訟復代理人弁護士

宮寺利幸

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、原告らに対し、連帯して、各金四七四三万三〇〇〇円及びこれに対する平成三年一月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、被告学校法人和光学園(以下「被告和光学園」という。)の設置する和光高等学校の体育授業として行われた持久走(ペースランニング)に参加した原告らの子が、右持久走完走後に急性心不全で死亡したことについて、原告らが、右死亡の結果が生じたのは、被告和光学園及び同学園において原告の心電図検査等の集団検診を実施した被告有限会社東京エッキス線技術研究所(以下「被告エッキス線」という。)の過失等によるものであるとして、被告和光学園に対しては、不法行為または在学契約上の債務不履行責任(安全保護義務違反)、被告エッキス線に対しては、不法行為に基づき、連帯して、各金四七四三万三〇〇〇円及びこれに対する不法行為の日である平成三年一月八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ請求した事案である。

二  争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実(証拠により認定した事実は、その項の末尾に証拠を掲げた。その余は当事者間に争いがない。)

1  当事者

原告らは、亡加藤豪(昭和五〇年一月六日生。以下「豪」という。)の父及び母である。

被告和光学園は、豪が就学していた和光中学校(以下「和光中学」という。)及び和光高等学校(以下「和光高校」という。)を設置している学校法人である。

被告エッキス線は、レントゲン撮影による集団検診の請負等を目的とする有限会社である。

2  本件事故の発生

豪(本件事故当時和光高校一年在学中)は、平成三年一月八日、和光高校の第一時限目の教科である体育授業に参加し、同日午前一〇時九分ころ、持久走(ペースランニング)二〇〇〇メートルを走り終え、そのまま意識不明の状態となり、同日午前一〇時五八分ころ、救急車で聖マリアンナ医科大学病院救急医療センターに運ばれたが、同日午後〇時五〇分、同病院において死亡した(〈書証番号略〉、証人葛西、原告加藤頌二本人。なお、原告と被告和光学園との間では争いがない。)。

豪は、急性心不全により死亡したものである(〈書証番号略〉)が、右急性心不全の原因は明らかではない。

3  被告和光学園は、豪に対し、昭和六二年四月(和光中学一年在学時)及び平成二年五月(和光高校一年在学時)に健康診断を実施し、被告エッキス線は、被告和光学園の委託により、右健康診断のうち心電図検査及びレントゲン検査を実施し、心電図の判読及びレントゲン写真の読影を行ったが、被告エッキス線は、右心電図及びレントゲン写真の所見から、豪についていずれも精密検査を要するとの判定をせず、異常を認めないとの判定をした。

なお、豪の心電図所見のうち、昭和六二年四月時には左軸偏位が、平成二年五月時には、左軸偏位、第一度房室ブロック、時計軸回転が認められる(〈書証番号略〉、証人大塚、同黒川、同佐藤。なお、原告と被告エッキス線との間には争いがない。)。

三  原告の主張

1  被告エッキス線の責任(不法行為責任)

(一) 被告エッキス線は、被告和光学園から、同学園が昭和六二年四月及び平成二年五月に実施した健康診断における心電図検査及びレントゲン検査の実施及び右各検査結果の判定等を依頼されたが、このような場合、被告エッキス線としては、各生徒の心電図等を正しく判読し得る医師にその判読をさせ、異常所見がある場合には、「異常を認める」、「精密検査を要する」などの結果を報告する注意義務がある。

(二) 被告エッキス線が豪に対して実施した心電図検査の結果によれば、

(1) 昭和六二年四月時(以下「心電図(1)」という。)

左軸偏位マイナス九三度

(2) 平成二年五月時(以下「心電図(2)」という。)

左軸偏位マイナス九七度、第一度房室ブロック、時計軸回転

の所見があり、しかも、心電図(1)に比べ、心電図(2)は異常所見が進行していることが認められる。

(三) 右のような心電図所見の場合、先天性心内膜床欠損症などの先天性心臓疾患が強く疑われることから、心疾患の程度等を把握し、治療の要否、運動負荷の許容範囲などを明らかにするため、精密検査を実施する必要がある。

(四) しかるに、被告エッキス線から右心電図の判読等の依頼を受けた大塚正八郎医師は、豪の心電図が先天的心臓疾患を有していることを示していることを看過し、二次検査ないし精密検査を要するとの判定をすべきであったにもかかわらず、これを怠り、漫然、異常を認めないとの判定をしたものであるから、右心電図の判読を大塚医師に依頼した被告エッキス線にも、過失があるというべきである。

2  被告和光学園の責任原因

(一) 不法行為責任

(1) 被告和光学園は、体育授業のなかでも、二〇〇〇メートル持久走という生徒の身体に相当の負担のかかることが予測できる種目の実施に先立って、これに参加する生徒の生命、身体に危険の生じないよう事故を未然に防止すべく生徒の事前の健康を正しく把握する注意義務がある。

特に、学校保健法六条及び七条によれば、学校は健康診断を行い、その結果に基づき、疾病の予防処置を行いまたは治療を指示し、運動及び作業を軽減する等適切な処置をとらなければならないとされており、また、学校保健法施行規則四条九号には、右健康診断の検査項目として心臓の疾病及び異常の有無が掲げられているのであるから、被告和光学園には、生徒に対し、健康診断を行い、かつ、その結果を正しく把握したうえで、治療の指示及び運動等に適切な処置をとるべき注意義務がある。

(2) しかるに、被告和光学園は、前記1(二)、(三)のとおり、同学園が実施した健康診断における心電図検査の結果、異常所見が存し、豪に対し、二次検査ないし精密検査を行う必要があり、その結果が出るまでは持久走等の運動には参加させない措置をとるべき義務が生じていたにもかかわらず、その義務の存在を認識することなく、平成三年一月八日、漫然と豪を持久走に参加させた注意義務違反がある。

(3) また、被告和光学園では、同学園の学校医または別の医師が内科検診(聴打診)を行い、心電図の判読及びレントゲンの読影は被告エッキス線に委託していたところ、同学園は、その学校医をしてそれらの結果を総合して治療ないし運動等への適切な処置を行うべきであるか否かの判断を行わせるべき義務があるにもかかわらず、同学園の学校医は、右のような最終的ないし総合的判断をしていなかったのであるから、被告和光学園には、健康診断を行い、かつ、その結果を正しく把握したうえで、治療の指示及び運動等に適切な処置をとるべき注意義務に違反した過失がある。

(二) 債務不履行責任

(1) 安全保護義務

被告和光学園は、和光中学及び和光高校に就学していた豪との間で、学校教育を目的とする在学契約を締結し、右契約に基づき、教育基本法、学校教育法などに規定される趣旨のもとに豪を教育する義務を負うとともに、その付随義務として豪の学校教育において同人の生命、身体等の安全について万全を期すべきいわゆる安全保護義務がある。

(2) しかるに、被告和光学園は、右在学契約に基づき、前記三1(二)、(三)、のとおり、豪に対し、二次検査ないし精密検査を行う必要があり、その結果が出るまでは持久走等の運動には参加させない措置をとるべき安全保護義務が生じていたにもかかわらず、履行補助者である被告エッキス線の過失により、その義務の存在を認識することなく、平成三年一月八日、漫然と豪を持久走に参加させた義務違反がある。

3  因果関係

被告らが、豪の心電図所見の結果を正しく認識し、平成二年五月の健康診断実施後、左軸偏位、第一度房室ブロック等の心電図検査の結果を豪の保護者である原告らに通知するとともに、専門病院での精密検査を指示していれば、原告らとしても、豪に精密検査を受けさせ、その結果が出るまでは体育の授業なども控えるように申し出ていたはずである。そして、被告和光学園が豪に対し持久走等の運動に参加させないとの措置をとっていれば、豪は、平成三年一月八日の前記持久走に参加して、先天的心疾患が急激に発症し、急性心不全により死亡するという結果は発生しなかった。したがって、本件心電図の判読が正しく行われ、健康診断が適切に行われていれば、本件事故は防ぐことができたものである。

4  損害

(一) 逸失利益

豪は死亡当時一六歳の男子であり、昭和六二年度賃金センサスによれば、高卒男子の平均賃金は年収四五五万二三〇〇円であって、豪の残稼働年数は一六歳から六七歳まで五一年であるから、これに対応する新ホフマン係数24.9836により中間利息を控除し、右年収の五割を生活費として控除すると、豪の逸失利益は、五六八六万六〇〇〇円を下らない。

計算式 4,552,3000×24,9836×(1−0.5)=56,866,421

(二) 慰藉料

(1) 豪は、本件事故により精神的苦痛を被ったところ、右精神的苦痛を慰藉する金額は、二〇〇〇万円を下らない。

(2) 原告らは、豪の父及び母であり、本件事故により豪を失い精神的苦痛を被ったところ、右精神的苦痛を慰藉する金額はそれぞれ五〇〇万円を下らない。

(三) 相続

原告らは、豪の死亡により、同人の相続人として、右(一)及び(二)(1)の合計額の二分の一に相当する三八四三万三〇〇〇円をそれぞれ相続した。

(四) 弁護士費用

原告らは、本訴の提起、追行を原告ら訴訟代理人らに委託し、弁護士費用の支払を約したところ、右弁護士費用のうち、前記(一)、(二)の損害額各四三四三万三〇〇〇円の約一割に相当する各四〇〇万円が、本件と相当因果関係のある損害である。

四  被告らの反論

(被告エッキス線)

1 心内膜床欠損症は、先天性の疾患であるが、豪は、出生以来、本件事故で死亡するまでの間、心臓その他で問題になる点はなく、むしろスポーツを積極的に行うなど健康な少年であった。

2(一) 学校検診においては、心電図検査で、左軸偏位、第一度房室ブロック等の所見が存在する場合には、胸部レントゲン撮影、胸部聴打診の順序で検査を行い、右各検査に所見があるときには、心エコー検査を行うのが通常である。

(二) 豪の健康診断については、心電図所見上、昭和六二年四月時には、左軸偏位マイナス九〇度、平成二年五月時には、左軸偏位マイナス八〇度、第一度房室ブロック、時計軸回転が認められたが、同時に行われた胸部レントゲン検査において何ら異常が認められず、さらに、被告和光学園の内科検診の担当医師である宇井忠公医師(以下「宇井医師」という。)が、平成二年五月二八日、聴打診検査を行ったが、異常は認められなかった。

3 以上によれば、豪について、心内膜床欠損症を疑うことはできず、その他の心疾患の存在も明らかではないのであるから、被告エッキス線は、心エコー検査等の精密検査の実施を要するとの判定をすべきであったということはできず、したがって、右心電図検査の結果につき異常を認めないとの判定をしたことは正当であり、被告エッキス線には過失はない。

(被告和光学園)

1 被告和光学園は、同学園に通学する児童、生徒の健康管理のため慎重を期して、被告エッキス線に委託して、毎年、児童、生徒の集団検診を実施していた。豪については、昭和六二年四月及び平成二年五月に、被告エッキス線に対し、他の生徒とともに集団検診を委託したが、被告エッキス線から、いずれも異常を認めないとの報告がなされていた。

なお、被告和光学園は、被告エッキス線に対し、心電図、胸部レントゲン撮影等の検査を委託しているが、被告エッキス線は独立の執行者というべきであり、被告和光学園の履行補助者ということはできない。また、仮に、被告エッキス線が、被告和光学園の履行補助者であったとしても、選任監督に過失がないから、被告エッキス線に過失があったとしても、被告和光学園には責任はない。

2(一) 豪は、中学二年時、三キロの遠泳を完泳し、中学三年時には、リレーのアンカーとして二〇〇メートルを完走し、水泳大会では四〇〇メートル個人メドレーを一一分一九秒四八で泳ぎ、四〇〇メートル平泳ぎを二度挑戦して二度目には九分四七秒八九で泳ぎ、中学三年時の七月には、水泳指導員として六キロの遠泳を完泳するなど、身体的活動に好成績を修めていた。

また、豪は、高校一年時に、バレーボール、タッチフットボールなどに取り組み、サッカーでは体育祭で正選手として参加し、全一年生の参加する山岳キャンプでは積極的にリーダーとして登山にも取り組んでいた。

以上のような豪の学校生活に鑑みれば、豪は健康で積極的であったというべきであり、病的状態を推測させるものは何もなかった。

(二) 本件事故当日実施されたペースランニングは、自分にあったペースで最後まで走り抜くものであり、生徒の身体に相当の負担がかかるというものではない。本件事故当日においても、実施前約一時間のオリエンテーションを含め、担当教師としては細心の注意を払っており、当日参加した生徒のうち途中で取り止めた者は、豪が倒れるまでに二名いたが、豪本人は、二〇〇〇メートルの距離を一〇分三〇秒で走り終えた。

(三) 以上のとおり、被告和光学園は、豪に対するペースランニング実施とそれ以前の豪に対する指導及び保護において欠けるところはなく、本件事故発生について予見し得る状況にはなかったのであるから、本件事故発生を回避し得なかったとしても、被告和光学園には、過失及び安全保護義務違反はいずれも存しない。

3 豪の死因は、解剖がなされておらず不明であり、前記のとおり、先天性心内膜床欠損症の疑いはないのであるから、仮に、被告らに過失があったとしても、豪の死亡との間には因果関係がない。

4 仮に、被告らに何らかの過失があり、豪の死亡との間に因果関係が認められ、被告和光学園が責任を負うとしても、豪は、本件事故当日、睡眠不足であったにもかかわらず、体育授業を見学しなかったのであるから、豪についても過失が存したのであって、過失相殺されるべきである。

五  争点

1  被告エッキス線の責任原因

被告エッキス線には、豪の心電図検査の結果として、左軸偏位、第一度房室ブロック等の所見を告知し、精密検査の実施を指示するべき注意義務があったか。

2  被告和光学園の責任原因

(1) 被告和光学園には、豪に対し、精密検査の実施を指示し、運動制限等の措置をとるべき注意義務があったか(豪に体育授業を受けさせるべきでない予見可能性があったか。)。

(2) 被告エッキス線は、本件健康診断の実施に関し、被告和光学園の使用者ないし履行補助者であるか。

3  因果関係

4  損害

第三  争点に対する判断

一  〔争点1〕被告エッキス線の責任原因(被告エッキス線には、豪の心電図検査の結果として、左軸偏位、第一度房室ブロック等の所見を告知し、精密検査の実施を指示するべき義務があったか。)

1  証拠(〈書証番号略〉、証人大塚、同成田、同黒川、同宇井)並びに前記第二、二の事実(争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実)を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 心臓の電気的興奮は、右心房上部の洞結節から発生し、心房から房室結節、ヒス束を通じて心室に伝導されるが、同時に電導体である身体各部に伝わって電場を生じる。この電場(主として体表)に電極を置き、微小な心臓の活動電位を心電計に導いて記録したものが心電図である。心電図上、心房の興奮を表す波をP波、心室の興奮を表す波をQRS群という。

興奮の方向が主にどちらに向かっているかを前額面からみた角度で表現したものを心臓の電気軸といい、その角度が〇度ないし九〇度である場合が正常電気軸とされ、〇度からマイナス九〇度までを左軸偏位という。

また、P波の初めからQRS群の開始点まで、すなわち心房の興奮の開始から心室の興奮の開始までの時間をPR時間といい、その正常範囲は0.12秒以上0.20秒未満とされている。このPR時間が正常値より長い場合、すなわち心房の興奮が心室へ伝導されるのに時間がかかる場合を房室ブロックといい、単に房室伝導時間の遅延のみがみられるものを第一度房室ブロックという。第一度房室ブロックのみでは不整脈に対する治療は不要であるが、PR時間が延長してくる、あるいは、房室伝導がときどき途絶する第二度房室ブロック等への進展があるなどの場合には、治療が必要となる。また、心臓が、その心尖部の方からみて長軸を中心にして時計方向に回転した位置にある場合を時計軸回転といい、心電図上、時計軸回転がみられると、右心室に何らかの負荷がかかっていることを示すものとされている。

(二) 被告エッキス線は、被告和光学園から委託を受け、昭和六二年四月及び平成二年五月に同校生徒の心電図検査及び胸部レントゲン検査を実施したが、心電図、レントゲン写真の判定については、被告エッキス線は、筑波大学名誉教授である大塚正八郎医師(以下「大塚医師」という。)に委託し、大塚医師は、被告エッキス線の虎ノ門事務所にわいて、心電図、レントゲン写真の判定を行い、被告エッキス線が予め作成した健康診断結果報告書(〈書証番号略〉)の「胸部所見」、「心電図所見」欄等に、その判定結果を記載した。

(三) 心電図(1)(昭和六二年四月時)においては、マイナス九〇度程度の左軸偏位が見られるほか、PR時間が0.20秒程度となっており、これは正常値と第一度房室ブロックとの限界域を示している。また、心電図(2)(平成二年五月時)においては、マイナス八〇度以上の左軸偏位に加え、PR時間が0.24秒となっており、第一度房室ブロックであることが示されているうえ、房室ブロックについては、心電図(1)に比較し、その程度は強くなっている。なお、心電図(1)、(2)ともに時計軸回転が認められる(心電図(1)から認められる左軸偏位の程度がマイナス九〇度以上であること及び心電図(2)から認められる左軸偏位の程度がマイナス八〇度以上であることについては、原告と被告エッキス線との間には争いがない。)。

こうした所見がある場合、左軸偏位という所見からは、三尖弁閉鎖、心房中隔欠損症、心内膜床欠損症等の病気が想定され、また第一度房室ブロックからは、リウマチ熱、心内膜床欠損症、心房中隔欠損症等の病気が想定されるが、特に、豪の年齢(一六歳)を考慮すると心内膜床欠損症を想定する必要がある。

(四) ところで、心内膜床欠損症は、胎生期に心房中隔、心室中隔、三尖弁、僧帽弁等を形成する組織である心内膜床の発育の障害により発生する先天性心疾患の総称であり、心電図においては、左軸偏位、房室ブロック、不完全右脚ブロック(心室の中での興奮伝導が正常と異なっているもの(心室内伝導障害)のうち、右脚の興奮伝導に障害があって右心室内の興奮に遅れが生じるものを右脚ブロックといい、心室の興奮の開始から完全に心室全体が興奮するまでの時間が延長し、QRSの幅が広くなる。このQRSの幅が0.12秒以上あるものを完全右脚ブロック、0.10秒以上0.12秒未満を不完全右脚ブロックという。)等の所見を呈し、胸部レントゲン検査においては、心拡大、肺動脈弓部の膨隆等の所見を呈し、聴診においては、Ⅱ音の固定性分裂(心音のうち、大動脈と肺動脈の弁の閉鎖音をⅡ音といい、正常では大動脈弁と肺動脈弁の閉鎖音が吸気時には分裂して聞こえ、呼気時には単一となる(正常でも分裂して聞こえることがある。)が、この分裂間隔が吸気時、呼気時で一定して変わらないことをいう。)等の特徴的な心雑音が認められる。

したがって、心電図所見において、左軸偏位、第一度房室ブロック等が認められた場合、胸部レントゲン検査、聴打診検査を行ったうえで、それらの所見から総合的に判断することが必要となる。この場合、心電図所見から直ちに心内膜床欠損症と診断することはできないが、胸部レントゲン検査、聴打診検査においても所見が認められる場合には、更に心エコー検査(超音波による心臓検査)等の精密検査を行うこととなる。他方、胸部レントゲン検査、聴打診検査において所見がなければ、心内膜床欠損症は否定される。

なお、心内膜床欠損症は突然死を起こす病気とは考えられておらず、仮に高校一年生の年代で心内膜床欠損症との確定診断がついたとしても、一番軽い程度のものであれば、手術は必要であるものの、その間特に運動制限等の措置をとる必要はないとされている。

(五)(1) 昭和六二年四月及び平成二年五月に行われた胸部レントゲン検査における豪の各レントゲン写真(〈書証番号略〉)からは、心拡大、肺動脈弓部の膨隆等の異常所見は認められない。

(2) また、豪に対する聴打診検査については、昭和六二年六月一八日には成宮徳親医師(以下「成宮医師」という。)が、平成二年五月二八日には宇井医師がそれぞれ聴打診検査を含む内科検診を実施しているが、いずれも豪について異常は認められないとの判定をしている。

なお、宇井医師は、内科医として一八年の経験を有し、数多くの集団検診に従事しており、右聴打診検査においても、心臓専門の高性能の聴診器を使用して検査を実施した。

(六) 和光高校作成の一九九〇年度健康診断結果一覧表(〈書証番号略〉)には、平成二年五月に実施した健康診断の結果が記載されているところ、右健康診断時において心電図検査を実施しなかった生徒一名の心電図結果記載欄には、他の場所で心電図検査をした結果に基づき、「第一度房室ブロック」との記載がなされている。

以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  右各認定事実からすれば、心電図(1)では左軸偏位、時計軸回転、心電図(2)からは左軸偏位、第一度房室ブロック、時計軸回転等の所見が認められており、右所見から想定される病気として心内膜床欠損症があり、その診断のためには、胸部レントゲン検査及び聴打診検査の結果とを合わせて判断する必要があると考えられること、しかも、他の生徒については、被告和光学園の作成した健康診断結果一覧表の心電図欄に第一度房室ブロックの所見が記載されていることに鑑みれば、心電図判定を行う医師として、右のような所見を健康診断結果報告書に記載すべきであったということができ、したがって、右心電図判定に従事した大塚医師は、本件事故の発生との因果関係はともかくとして、担当医師としての一般的な注意義務に違反したものというべきである。

3(一)  次に、大塚医師に、右2の義務に加え、豪につき精密検査の実施を指示するべき義務があったか否かについて検討するに、前記一で認定した各事実によれば、心電図(2)には左軸偏位、第一度房室ブロック、時計軸回転の所見があるが、他方、同時に行われた胸部レントゲン検査においては特段の異常所見はないこと、その後行われた聴打診検査においても、右検査を実施した宇井医師は、異常なしとの判定をしており、右宇井医師の経験、使用器具等に照らし、右判定は十分信用することができることに鑑みれば、本件事故当時、豪が心内膜床欠損症であったと認めることはできず、他に豪が心内膜床欠損症であったことを窺わせる証拠はない。また、豪について解剖検査が実施されなかったこともあり、その他の具体的な心疾患の存在を認めるに足りる証拠もない。

(二) そうすると、仮に、大塚医師が、右所見を健康診断結果報告書に正確に記載していたとしても、結果的には、心電図、胸部レントゲン検査及び聴打診検査の総合判定において、豪について、更に心エコー検査等の精密検査が必要との判断をすべきであったとはいえないのであるから、大塚医師に、豪に対して精密検査の実施を指示するべき義務があったことまでを認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

4(一)  医師佐藤恒久作成の意見書(〈書証番号略〉)には、「心内膜床欠損不全型が強く疑われる」旨の記載が認められるが、同人自身、その証言において、本件心電図所見から心内膜床欠損症が疑われるとは言えないと証言していることに照らせばこれを採用することはできない。

また、右佐藤医師が右意見書において、心内膜床欠損不全型の疑いを前提として「一般的な心臓検査終了後までは体育などは十分に注意すべきであった」とし、さらに、その証言において、心エコー検査その他の心臓検査をすべきであったとしている点も、前掲各証拠に照らし採用することができない。

(二)  〈書証番号略〉によれば、循環器の専門医である阿部光樹医師が、豪につき心臓精検が必要と考えられる旨記載していることが認められるが、右は、心電図所見のみに基づく意見であり、レントゲン検査、聴打診検査の結果をも踏まえたものではないから、前掲各証拠に照らせば、精密検査を指示するべき義務があったことまでを認めるに足りるものということはできない。

5 ところで、被告エッキス線は、集団検診の請負等を目的とする会社であり、被告和光学園の委託により、同学園の生徒の心電図検査及びレントゲン検査を実施しているのであるから、一般に、各生徒の心電図等を正しく判読したうえで、一定の異常所見が認められ、精密検査を要すると思料される場合には、その旨を報告するべき注意義務があると解するのが相当である。そして、被告エッキス線の委託により、これを補助して右検査結果の判定に当たった大塚医師が豪の心電図所見について健康診断結果報告書に適切な記載をしなかったのであるから、被告エッキス線自身もまた、本件事故の発生との因果関係はともかくとして、右健康診断結果報告書に適切な所見を記載するべき一般的な注意義務に違反したものということができる。

二  〔争点3〕因果関係

そこで、被告エッキス線の右一の義務違反と豪の死亡との間の因果関係の有無につき検討する。

1  被告エッキス線が、平成二年五月に実施した集団検診の結果を記載した健康診断結果報告書(〈書証番号略〉)に、左軸偏位、第一度房室ブロック等の心電図(2)の所見を記載したうえで和光高校に提出していれば、同校としても、これを豪または原告らに通知し、右通知を受けた原告らとしては、豪に心臓の精密検査を受けさせたであろうことは、十分に想定され得るところである。

しかしながら、前記のとおり、平成二年五月の健康診断の結果を総合すれば、豪が心内膜床欠損症であったことを疑うことはできず、また、豪につき解剖検査がなされておらず、具体的な心疾患の存在が明らかでない以上、右のとおり、豪が精密検査を受けたとしても、運動制限をするべき程度の心疾患その他の異常が発見されたか否かは明らかではないと言わざるを得ない。しかも、仮に、心内膜床欠損症との確定診断がなされていたとしても心内膜床欠損症は突然死を起こす病気とは考えておらず、また、豪の年齢や後記三1(一)ないし(三)認定のそれまでの生活状況等に鑑みれば、軽度のものと想定されるところ、右の程度であれば、運動制限等の措置をとる必要はないとされている。

2 そうすると、仮に、被告エッキス線が右義務を尽くしたとしても、必ずしも本件事故当時、豪につき運動制限がされるべきであった、または、現になされていたであろうということまでを認めることはできないから、右義務違反と豪の死亡との間に因果関係を認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

三  〔争点2(1)〕被告和光学園の責任原因(被告和光学園には、豪に対し、精密検査の実施を指示し、運動制限等の措置をとるべき義務があったか。)

1  証拠(〈書証番号略〉、証人大塚、同成田、同黒川、同葛西、同宇井、原告加藤頌二本人)、前記第二、二の事実(争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実)並びに前記一1で認定した事実を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

(一) 豪は、小学校(神戸市立渦が森小学校、茅ヶ崎市立浜須賀小学校)在学時の健康診断においては、心臓の疾病及び異常については特段の指摘はされていなかった。

(二) 豪は、昭和六二年に和光中学に入学したが、中学二年時に、三キロの遠泳を完泳し、中学三年時には、運動会やクラス対抗リレーのアンカーとして二〇〇メートルを完走し、水泳大会では四〇〇メートル個人メドレーを一一分一九秒四八で泳ぎ、また、水泳の授業において、四〇〇メートル平泳ぎを一〇分以内で泳ぐという課題に二度挑戦し、二度目には九分四七秒八九で泳ぎ、さらに、同中学の水泳合宿においては、水泳指導員として六キロの遠泳を完泳するなど、中学校時代は、体育授業に熱心に取り組み、身体的活動に良好な成績を修めていた。

(三) また、和光高校進学後も、豪は、体育の授業において、バレーボール、タッチフットボールなどに取り組み、体育祭ではサッカーの正選手として参加し、また、全一年生が参加する山岳キャンプでは積極的に登山にも取り組んでいた。豪の両親から学校側へ体育の授業で豪の健康上留意すべき事項も格別寄せられていなかった。

(四)(1) 本件事故当日実施されたペースランニングは、自分に合ったペースを見つけ、そのペースを守って最後まで走る持久走をいうところ、普通の高校生の運動としては中程度であるとされている。

(2) 本件事故当日は、ペースランニングの第一回目の授業であったため、体育授業担当教師が、午前九時五分ころより、豪を含む生徒らに対し、ペースランニングの目的は他人との競争ではなく、自己のペースでペース配分ができるようになることであり、そのために一周(二〇〇メートル)ごとのタイムを測定し、グラフ化すること、最終的には一周一秒でもよいからペースアップを目指すこと、距離は二〇〇〇メートル(一〇周)とすること、ペースランニングの前後に脈をとり、次回のペース配分の参考とすること、体調が悪い時は無理をして走らないで見学し、改めて体調のよい日に追走の日を設定すること、外は寒いのでジャンパー、マフラー、手袋などを持ってグランドに出て温かくしていることなどの説明ないし指示を行った。

なお、同日午前一〇時の本件事故現場付近における気温は摂氏5.5度であった(和光高校校舎西側の日陰で計測)。

(3) 九時四五分ころ、同教師が、グラウンドに集合した生徒に準備運動の指示をし、準備運動後、班別にペースランニングを開始した。豪は、九時五八分ころ、同じ班の他の生徒と一緒にペースランニングを開始し、一〇分三〇秒で二〇〇〇メートルを完走した。同教師は、走行中の生徒に声をかけながら、顔色、息づかいを観察していたが、その時点では、豪について、特に異常は認められなかった。完走後、豪は、ゆっくりと仰向けになった。なお、当日は自主的に見学した生徒や、ペースランニングに参加したものの完走せず、自ら途中で取り止めた生徒もいた。

(4) その後、一〇時一二分ころ、同教師が、豪の様子の異変に気づき、脈拍を計ったところ、脈が弱くなっていると感じ、かけつけた職員が意識の状態、瞳孔の反射等を確認したが反応がないので、気道確保、心臓マッサージ、人口呼吸、保温等の緊急処置を行うとともに、救急車を要請した。豪は、かけつけた救急車で聖マリアンナ医科大学病院救急医療センターに運ばれたが、同日午後〇時五〇分、同病院において急性心不全により死亡した。

(五) 被告和光学園は、同学園に通学する児童、生徒の健康管理のため慎重を期して、被告エッキス線に委託して、毎年、児童、生徒の心電図、レントゲン検査等の集団検診を実施してきた。

前記のとおり、昭和六二年四月及び平成二年五月に心電図検査及び胸部レントゲン検査を実施した被告エッキス線は、豪について、心電図所見、胸部所見とも異常を認めない旨を記載した健康診断結果報告書を提出しており、また、昭和六二年六月には成宮医師が、平成二年五月には宇井医師が内科検診を実施し、豪につき、いずれも異常なしとの判断をしているところ、右各当時和光中学及び和光高校の学校医であった宇井医師(昭和六二年)、成宮医師(平成二年)は、右健康診断の結果をもとにそれぞれ生徒健康診断票(〈書証番号略〉)を作成し、各生徒の健康状態につき総合判定をしている。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

2(一)  一般に、児童、生徒の生命、身体に危険を及ぼす可能性のある授業を実施するに当たっては、教師及びその使用者である学校には、対象となる児童、生徒の身体状況や能力を把握し、事前に十分な説明や指示、注意をしたうえで、それぞれの児童、生徒の能力に応じ安全を考慮した指導をしなければならないものということができる。

そして、本件においては、被告和光学園には、ペースランニング二〇〇〇メートル走という生徒の身体に負担のかかることが予測できる種目の実施に先立って、これに参加する生徒の生命、身体に危険の生じないよう事故を未然に防止すべく生徒の事前の健康を正しく把握する義務があるというべきであり、そのためには、平素から健康診断等を実施し、不測の事態が生じないよう常に児童生徒の健康状態を認識するべき義務が存するものということができる。

(二) 前記認定事実によれば、豪は、健康で積極的であり、本件事故に至るまで、学校生活において、学校関係者らに豪の病的状態を推測させるものは何もなかったことが推認でき、また、被告和光学園としては、中学一年時(昭和六二年四月)及び高校一年時(平成二年五月)の健康診断において、被告エッキス線から、心電図検査及びレントゲン検査の結果について、異常を認めない旨の通知を受けており、しかも、内科検診を担当した医師による聴打診検査においても、特段の異常な所見は発見されておらず、学校医も右各結果をもとに総合判定をしているうえ、本件事故当日の体育授業におけるペースランニングの開始前には、ペースランニングにおける注意事項等の説明を行っており、体育授業に参加した生徒の中には自主的にペースランニングを取り止める者もいたことに鑑みれば、被告和光学園は、豪に対する指導及び保護において欠けるところはなく、しかも、前記二のとおり、仮に心電図に左軸偏位、第一度房室ブロック等の所見が認められることを知っていたとしても、これをもって直ちに運動制限等の措置が必要であるとはいえないのであって、被告和光学園において、本件事故発生について予見し得る状況にあったということはできない。したがって、同被告には、豪について、精密検査の実施を指示し、運動制限等の措置をとるべき注意義務があったことを認めることはできない。

(三)  また、安全保護義務の存在については当事者間に争いがないが、右安全保護義務の具体的内容は、前記2(一)で認定した義務とその内容において変わりはないというべきであるから、被告和光学園に、右安全保護義務違反を認めることもできない。

第四  結論

以上のとおりであるから、原告らの本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官河野信夫 裁判官舘野比佐志 裁判官田中一彦)

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